夏の日 2 〜2009年2月〜

 僕が小学生だった頃、父はアマチュア無線に凝っていた。休みの日になると部屋の隅に設置された無線機の前に座り、遠くの誰かと交信をしていた。

 庭には赤と白のペンキで交互に塗り分けられた、長さ十メートルくらいの三本の竹ざおが立てられていて、そのてっぺんには電線が渡されていた。父が無線で誰かと話すとき、しばしば自慢げに説明するそれは「水平ダイポール」という無線のアンテナだった。
 また、当時父が乗っていた自動車にも小さな無線機が設置され、屋根には釣竿の先端のようなアンテナが取り付けられていた。自動車で交信をする際には「移動局」(モービルハム)というようなことを、やはり電波の向こうの誰かに言っていた気がする。
 庭に竹ざおでアンテナを立てたり「移動局」で電波を発信するのは、遠くから飛んで来る電波を捉まえるという「未知へのあこがれ」がその動機付けになっているようだった。
 父はそれなりの情熱を未知なるものに注いでいた。

 ある夏休みの日、父は普段部屋の隅に設置している大型の無線機を自動車に積込み、峠を越えて山間の小学校へと向かった。僕もその車に乗り込んだ。
 小学校に到着すると誰もいない木造校舎の教室の一つに無線機を運び込み、アンテナ線を窓から狭い校庭へと導き出した。そして国旗掲揚台まで線を引っ張ってくると、その先端を本当なら旗の紐を結びつけるロープに固定し、まるで旗を揚げるように操作した。すると「するする」とポールの先端までアンテナ線は引っ張り上げられ、立派なダイポールのアンテナとなった。
 父は小学校の教員をしていたので事前に了解をとった上で、山間の村の小学校を一日無線局とすることを思い付いたのだろう。そして誰もいない教室で遠くの誰かを父は探し始めた。

 僕は学校を出て近くを散策した。しかし狭い校庭に設置されたわずかな遊具で遊んだり、学校の目の前を流れる小さな川を覗いたりしてみたが直に飽き、父のいる教室へ戻ることにした。校門には「小中学校」という木製の看板が掛けられていた。
 教室に戻ると部屋の隅に学級文庫が設けられているのを見つけ、並べられていた夏休みの課題図書の中から一冊を選びとった。その頃の僕は本を読むのがとても好きで、どこでも読書に夢中になることが出来たが、ここでも直に没頭して周囲を忘れた。
 実はこの山間の小さな小学校で過ごした半日の記憶は、南半球の群青の大海原を駆け巡る風景として僕の中で記憶されている。手に取った一冊の本が、ポリネシアを舞台とした冒険の本だったからである。その長い物語を読み終えたとき、木造校舎は夕日に照らされ、物語の世界に遊んだ僕を日暮れを告げる蝉の声が懐かしく迎えた。物語の終わりも南の島の夕暮れの風景だった為に、記憶の交錯がより強いものになったのかもしれない。

 どんな会話をしたのかはもう忘れてしまったが、薄く夕日に染まった教室で父も満足そうに本日の交信を終えていた。その日、父の電波がどこまで飛んだのかは今はもう聞くことも出来ない。