平成26年8月5日、東京日本橋を出発し、8月25日、京都三条大橋へ到着した。 

 昨年夏にも、やはり日本橋から三条大橋までを旅したが、その時歩いたのは東海道。 今年は中山道を歩いた。 それぞれ名称の真中に「海」「山」の文字があるが、まさに山、山道の連続。 それが中山道の印象である。 島崎藤村は小説「夜明け前」の冒頭で、「木曾路はすべて山の中である」と書いた。(木曽路は木曽十一宿と呼ばれる、長野県塩尻の「贄川宿」から岐阜県中津川の「馬籠宿」までの間を指すが、広くは中山道全体を指す) まさに、すべて山の中。 藤村の言う通りだった。

 昨年はほとんどが晴天で、猛暑の中、熱中症を気にしながらの旅だった。 今夏はほとんどが雨降りとなり、夜、野宿の際には寒さで目が覚めるような事もあった。 さらに、食糧・飲料の補給にも事欠くような人里離れた山間の道に、平野部を歩くことが多い東海道とはまったく違う不安を感じることもあった。

 しかし、朝になれば明るくなり、夜になれば暗くなるという、当たり前の時間の流れに、ただひたすらに身を任せるだけしか自然と向き合うすべの無い旅路にあって、人知の及ばない力、決してオカルト的なものでは無く、人が自然の中で生きるにあたって、感じ、従わなければならない法則のようなものがそこに在り、その存在・力に波長が合う、もしくはそれが動き出していると感じる感覚は、今年も昨年と同じように有り、恐れ、感謝した。

 今回の旅日記、昨年同様、旅中に書きとめた日記をそのまま掲載している。 しかし、昨年の日記には、旅の恥は掻き捨てとばかりに下品な言葉が散りばめられ、後に「緑通信」に掲載するにあたり多少の迷いがあった。そこで今回、日々旅先で記す段階で、なるべく上品に書くよう気を使った。 初日、二日酔など抱えておらず、非常に清々しい旅立ちとなったことも、作風に良い影響を与えている。
 しかし、灼熱の太陽に挑むような昨年の旅とは打って変わり、降り続く雨にひたすらに向き合った日々が、紡ぐ言葉に一番の影響を与えたことだろう。そして、多くの人に出会い、話をしたことも。 

 最後に。 「東海道、旅日記」と「中山道、旅日記」は、同一人物が歩き、そして書き記したものです。 念のため。
 「中山道、旅日記」表紙へ / 本編へ