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   私はもとより、深いことといえば沼田が深いことぐらいしか知らないし、
 高く昇ることといえば棚田のあぜを昇ることぐらいしか知らない。
 そうしたなかにも、おおよそを知っているといえるのは田畑を耕すことである。
 いまその知っているすべてを集めて『農具揃』と題して書物にした。
 慶応元年五月 秋寿斎 菊仙しるす(※1) 




正月

 三が日は雑煮餅やごちそうを食べて新年を祝う。しかし、自分の山を持たない者は、大晦日の晩、大雪の入会山(無料で使える共同の山)で夜を明かし、 元日の朝一番に薪を伐り出すのに良い場所の立木に鉈で自分の印を付けてくる。お金のある人はこんな苦労はいらないのだが。

 二日の朝は早起きをしてわらをトントンと打ち、縄の「ない初め」をする。女衆は麻の「績み初め」(うみぞめ・糸に紡ぐこと)をし、子供たちが書初めを する家もある。この日は村の庄屋(名主)の家に挨拶にも行く。五日までには各々の旦那寺へも年始に行く。贈り物はだいたい米や鏡餅だ。晩には若者たちが寄り 合って、豆腐・ごまめなどを肴に酒を酌み交わし大声で歌ったりもする。これは「歌い初め」。三日の日は村役人から「賭け事をするな、火の用心をせよ」などの お触れが出る。これは「触れ初め」。

 四日頃から田んぼの肥料となる石灰石を他所から買ってそりに載せて引いて来る。十日頃から深山に入り雪を踏み分けて材木を引き出す。二十日は宗門改めを して高山の代官所へ差し出す。この日、朝食前に米俵の蓋を編む。飛騨は幕府の天領なので菊の花の形に蓋を編むが、他の大名の領地ではそれは許されない。 二十八日には仏前に供えてあった鏡餅を煮て家中で食べる。

 なお、二日の朝早々にする「ない初め」を私は幼いころから欠かしたことが無い。それを「正月ぐらいなぜ休まんのや」と笑う者がいるので歌に詠んで送ってやった。


         細くとも 縄のより初めするゆえは 農事によりの戻らせぬため

句意:たとえ細 い縄であっても毎年欠かさずにない初めをするのは、年の初めに休みすぎて農事に励む心のよりが戻ってしまわないように自分をいましめるためなんやさ。

《余話》
この辺では男の子を『ボ』といい女の子を『ビ』と言うな。なんでかは知らんが、男は『坊』やとしても女だから『美』ばかりとも言えまいに。



二月

 一月の末ごろから各家では薪の伐り出しや炭焼きに忙しい。薪を取る山には小屋を造り泊り込みで働く。 次々に薪の山を積み上げていくが一番多くの薪を伐り出した者は山小屋で使った「茶釜」を背負って下山する習いがある。 それを村人が見て「今年は誰それが一番や」といつまでも評判になるのだ。父親たちは山籠(やまごも)りの間、 暇を見つけては人形や猿、鳥などを彫刻して里で待つ子供たちを喜ばす「山土産」とする。

 彼岸(春分)の中日は休み、ヒガン餅という雑煮を食べる。さて、「大雪も彼岸、小雪も彼岸」と俗に言うが、 どんなに大雪の年でも必ず彼岸までには雪は消える、または雪の少ない年でも彼岸までは時々雪は降るものだという ことである。この頃、一年の農作業の「鍬(くわ)立て初め」をする。よく土を耕し肥料を施(ほどこ)したりして 茄子の苗床をつくったりするのだ。女衆や子供はこの頃までに麻の糸を紡ぎ終え、機織り機にかけて布作りに専念す る。彼岸から十五日たつと苗代の準備をする。

《余話》
当地では祝いごとと言えば「めでためでたの若松さまよ、枝もさかえる、葉もしげる」という唄が出る。 これを「みなと」と言うが海の無い国に「港」とはどうしてやろうとみな言いなさる。思うに、一人が唄えばみな調 子を合わせて歌い出すので「皆共に」という意味やないかな。



三月

 三日は桃の節句である。そろそろ畑を耕し始め、田の打ち起こしに専念する月である。田起こしは男の「表(おもて)仕事」と いわれ最も骨の折れる仕事である。なのでこの時期は一日の食事を五回にすることになっている。しかし、田を耕すには馬を引いて 耕すのが本当は一番効率的で良い。そうすれば腹も減らず食事も四回ですむ。また、当地は耕地もせまく収穫量も少ないのに異常な ほどたくさんの猪が出る。そこで、お上の許可をとっておどし銃を鳴らすことにしている。年によっては苗代にも被害が出るので、 そんなときは村中総出で山狩りをし、谷間ごとに松明を燃やし鉄砲をはなつこともある。



四月

 前月から養蚕が始まっている。養蚕は飛騨の第一の副業といわれ昼夜気を緩めることなく気を配って育てている。この頃は里芋 (畑いもとも言う)を植える時期でもある。里芋の種芋を貯蔵しておく一番良い方法はなるべく土を落とさないように収穫したものを 芋穴(室のようなもの)に入れて籾殻(もみがら)をかけておくのである。そうすると春にはいきいきと芽を出してくれる。田の仕事 ではあぜ削りや破土もすんで荒代かきの最中である。畑も再三手入れをして粟を一番に播きつける。大豆は直接畑に蒔くと鳩に喰われ るので苗に育ててから植えつける。田の肥料にする山の下草刈りが解禁になる時期でもある。女衆は麻布を織り上げて白く晒(さら) し始める。

           雪消えて 一と村白し さらし布

  句意:雪が消えても一村だけはいまだに真白である。晒し布のために。
 また、今月ばかりではないが味噌を作る大豆も煮る。味噌と言えば、焼き味噌はぜいたくな
食べ物で金が減りやすいともいわれる。

《余話》
農家では普通一日四食で、順に「茶の子」「飯(めし)」「コビリ(小昼)」「夜飯(よはん)」と言う。牛と馬とは あらゆることが正反対のようだ。馬は歩くのが早く牛は遅い。馬は食いつくが牛は角で突いてくる。馬は立っている方がよく牛は 寝ている方がよい。馬の糞は丸く牛はべたべた。馬の爪は後ろが割れ牛は前が割れている。馬は前足から立ち上り牛は後足から立つ。 馬はくつわ、牛は鼻綱などなど。



五月

 前月からの田植え始めで大忙しである。五日は端午の節句で、前日の晩にはあやめ(菖蒲)の風呂を焚く。田植えと言えばその 速さを競う者がいる。夜の明けないうちから田に出て、松明(たいまつ)の明かりで田を照らし、多急ぎの手抜きほうだいで代かきを するのだ。そして田の水がまだ冷たいのに苗を植えてしまう。そうすると苗が根付くのが遅れ収穫量にも影響する。 人より早く終えさえすればめでたいと考えるのは非常に嘆かわしい。 また、何人かが集まって他人の田を預かって作ることを「仲間田」と言うが、これも世間で田植えをする頃まで何ら手を付けず、 大勢で一気に田起こしから田植えまでをしてしまう。俗に「打ち田百日」と言って、早春の耕すべき時に田を打ち起こし、田の床まで 日光を入れておかねばならない(自然に逆らって、すべき時にすべきことをしないのは)実にけしからん心得の者である。 この時期は五月雨(さみだれ)といって雨天がつづくものであるが、これもまったく天(自然)の恵みそのものである。 雨が降らなければ用水のない棚田などには苗を植え付けることもできないのだ。また、田に使う肥料は油粕・石灰・木灰 ・にしん・干ほし鰯(いわし)・堆肥など様々あるが、どれも使い方が肝心である。使いすぎればかえって害になる。 何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。

 田植えがすんだら馬鈴薯を植えるとよい。馬鈴薯は寛延年間(1748年頃)、7代目の御代官の幸田善太夫殿が信濃の国から 取り寄せて飛騨の国に広めたものである。みな喜んで「善太夫いも」と呼んだが、いつからかセンダ芋と呼ばれるようになった。 たまに信州芋ともいうが、こんな訳だからである。南瓜(かぼちゃ)はその昔、柬埔寨(かぼちゃ・カンボジア)という国から種子が 渡来したという。西瓜(すいか)は南瓜より百年も後に渡って来たと思われる。西瓜は中を食べて外側を捨てるが、南瓜は外側を食べて 中を捨てる。西と南ではこんな違いがあるのだなぁ。



六月

 この頃から田の草取りを始める。農家の男の頭を「鍬頭(くわがしら)」というが、田を耕作するには強い力が要るため、田の力と 書いて「男」という字になっている。この時期に山に入って刈る柴や草を「夏草」というが、草刈りも「男の表仕事」といわれる大事な 仕事だ。誰もが精を出して山のように積み上げて馬で運ぶ。6月は大麦・小麦の脱穀も主な仕事だ。十五日は祇園会(京都八坂神社の 祭礼、この日飛騨では農休み)で、うどんを打って食べる。女衆や子供は蚕の繭から糸をとる「糸引き」の仕事にそろそろ取りかかる。 そして梅雨明けがいつになるか、ああでもないこうでもないと論じるのも毎年のことだ。



七月

 畑仕事がいよいよ忙しくなる。十三日は「盆掃除」といってお盆を迎える準備をする。十四日、十五日の二日間は先祖の霊が戻って くるので、草刈りの際にうっかり霊魂の足を切ってしまわないように鎌を使う仕事を禁じている。十四日の晩は「招来火(しょうらいび)」 といって山々にたくさんの火を焚き、先祖の霊を迎える迎え火とする。お盆の四日間は休みを取り、墓参りをしない者はない。十五日は中元 といって、餅と鮪(まぐろ)を仏前に供え、みんなで食べて祝う。あとはもっぱら盆踊だ。相撲大会をする者たちもいる。

            盆踊り 先半分の年忘れ

句意:盆踊りをすると、年の前半の憂さを忘れるようだ

《余話》
盆の切籠(きりこ)といって各家では様々な飾り燈籠をこしらえてつるす。
上等な物は金銭を惜しまず美しく細工するが、貧しい家 でも麻から糸をとった後の茎を骨組みにして手作りをする。こうして家ごとに燈籠に火が灯されるのは本当に美しい。



八月

八朔(はっさく・八月一日)は稲の実りを祝う節句として神前に新米を供える。この月は多くの村々で産土神の祭りがある。彼岸過ぎからは おいおい畑作物の収穫に取りかかる。畑を空けて麦を蒔くのである。今月は名月十五夜のお月見があるが、農民は月を楽しむ余裕もない。



九月

 そろそろ秋の刈り入れが忙しくなる。九月は菊の節句だが、刈り入れのため休めない。稲の刈り入れが終わると、「鎌納め」といって風呂を 焚き、里芋汁をふるまう。

 刈り取った稲は田んぼに木を組んで架干しするのが良い。次に干した稲を脱穀するのだが、昔は太い箸(扱[こき]箸)で扱き取っていたという。 今はセンバを使うが、これは扱箸で十把扱く間に千把扱くほど能率があがるから「千把扱[せんばこき]」と言ったのをセンバと略したのだろう。 扱き取った籾(もみ)を「籾すり」をして玄米に仕上げるには臼を使う。玄米と籾殻を振い分けるには「唐箕(とうみ)」という便利な道具を使う。

《余話》
三十年前、天保七年(一八三六年)の飢饉ではおびただしい数の人が餓死し、幼い私は目を開いたまま死んでいく人をまざまざと見た。 その時の気持ちはとても筆では書きあらわせない。豊年が続けば必ず凶年があるものと心得て、皆が米や穀物のありがたみを知り、備えをするべきである。



十月

 先日、村々にお役人の巡回があり、ご領主の山林の見回りのほか、年貢米を納める時期が近づいているので準備を怠らないようにとのお申付けがあった。 今月の牛に日から上納が順次はじまり、首尾よくすべての上納が終われば「皆済酒」といって喜びの酒盛りをする。このころ蕪も摘み始め、大根も収穫をする。 大根の葉を洗って干し、切り漬けにしたものを「クモヂ」といって、冬から春にかけてのおかずになる。それから田んぼの手入れ、土地改良をし、水路や田畑の あぜ道の修理などもする。



十一月

 十一月は霜月というけれど、飛騨では十月から霜が降りるので、たばこやそばなどは早く取り入れないと使い物にならなくなってしまう。畑の小麦は根元を よく踏みつけないと冬にねずみの食い物になってしまう。えんどうは十一月に蒔くこと。年が明けてからでは平年の半分の収穫にしかならない。なお、同じ畑に 毎年同じ作物を作るのは良くないが、とりわけえんどうは同じ土地を七年嫌うという。



十二月

 「八日フブキ」と言って八日には必ず猛吹雪がある。十二月は大雪が降りやすいので母屋や物置、すべての屋根の雪を払い落さなければならない。冬中雪に 閉ざされるので、頑強な男は橇(そり)を使って石灰石や薪などを運ぶ仕事があるが、ひ弱な男や子供、女衆は屋内の仕事しか出来ない。そこで、男たちははきもの類、 馬のくつ、縄や綱の類、あるいは蓑(みの)などのわら細工をする。または子供や女衆とたくさんの莚(むしろ)を織る。皆が力を合わせて仕事に精を出すのである。 暖かい国の人たちは、飛騨国など雪国の冬はすることが無く、のんびり囲炉裏にあたっていると思っているようだがとんでもない。仕事など考えればいくらでもあるものだ。 二十日はすす払いの掃除をする日である。二十一日は奉公人が年季奉公を終えて出てゆき、二十六、七日頃に次の者が雇われて入ってくる。

《余話》
農家の囲炉裏の四方には名前が付いている。上座を「横座」、これは横着座の略だろう。その左側を「嚊座舗(かかざしき)」、その左を「下座」という。 そして横座の右を「間人座(まとざ)」という。囲炉裏の上にはアマ(火棚)を吊り下げて、冬から春の間、濡れたものやはきものを干す場所となる



さて、だんだんと暮も押し迫ってくると、一年の貸し借りの精算をしなければならない。二七日には古川に最後の市が立つ。あとは各家で餅をついて新春を待つばかりとなる。


以上、一月から十二月までに用いる農具は三百五十余品である。農家の主人はいつもこのように雑多な道具類に修理したり、肥料作りや人手の手配、種子の選別、作物の手入れ、 収穫など次々に仕事をこなさなくてはならない。どうして百姓は物知らずなどと言えようか。

                 農の労 稲にも露の 玉の汗  菊仙

句意:農民の労苦は汗の連続であるが、その汗がたまって秋には稲に露ができる。稲穂にできる露は農民の汗そのものだ。

 
 

 『農具揃(のうぐせん)』は、飛騨蓑輪村(現在の岐阜県高山市国府町蓑輪)の篤農家、大坪二市によって慶応元年(1865年)ころに著され、体験と見聞をもとに農家の使う道具(農具)を各月にまとめ、山仕事や山村の生活など民俗も伝えています。
 「人余って食足らざる下々の国」と称された飛騨での食糧生産への切実感が執筆の動機の一つとなっています。(農山漁村文化協会「日本農書全集24」より)


※美しい村をたずねてNo.2は、農山漁村文化協会刊行「日本農書全集24」に集録の『農具揃』より、内容または図録を抜粋して編集したものです。

《参考図書》
日本農書全集24 『農具揃・乍恐農業手順奉申上候御事・家訓全書』(昭和56年12月日第1刷)
発行所:社団法人農山漁村文化協会
 東京都港区赤坂7丁目6−1

(※1)「秋寿斎菊仙」は二市の雅号