9日目 芦野宿~牧之内宿 2016年5月7日(土)


《芦野宿~牧之内宿 41.43km (total 265.36km)》

4:28 起床。小雨。外で小。

5:10 出発。

5:28 テーピング巻く。(右も巻いた)

昨晩は真っ暗な夜道でどうなることかと思ったが、何とか野営できた。その夜は途中かなり風が強くテントごと吹き飛ばされたらどうしようなどと、うつらうつらとしながら思ったりもしたが、何時頃からかは静かになり、ぐっすり眠った。(バッテリー不足のため、スマホは電源を落としていた)

明方近く目を覚ますとポツポツ雨の音がしている。そんないひどい降りではないようだが、時折止んだりもする。

4:28 再び目を覚ますと少し雨が上がっているようだ。今のうちに撤収しようと飛び起きる。多少フライシートなど濡れているが、そのまま払って畳み込む。5:00近く、撤収終わってみれば空は晴れ、お天気になってきた!!外で小をして5:05出発!!


《那須町横岡あたり 奈良川を渡るところからスタート》

6:50 3.92km来たところで那須町寄居集落センターという、元々は小学校であっただろうところにある施設の前のベンチで休む。二宮金次郎像やグランドもあり、石の門柱には明治6年創立というようなことが彫られている。ここまでも本当にさわやかな田園風景だった。農家の人はすでに畔の草刈りなどをしていた。鯉のぼりも上がっている。

朝食代わりに昨日買ったクッキーの残りを食べる。二日ほど歯を磨いていない(きたない!!)が、ここに水道があるので磨かせてもらおう(そう言えば二日ほど顔も洗っていない)。うーん、気持ちいい。歯は二回磨いた。顔も水道の水でゴシゴシ洗うと、うん、まさに一皮むけた感じ。爽快、爽快!!

7:24 そろそろ片付けして出発しよう!!ここの前で道路案内も「白河・会津若松」と出てきた。まだまだ朝の風は冷たい。


《田植えを終えたばかりの田んぼ》

《「諭農(ゆのう)の碑」 嘉永元年(1848)建立。病虫害の駆除から予防、米の保存法、饑饉(ききん)に備えての貯米・貯穀、饑饉の時の食物栽培、食物の製法、ひもじい人への看護と食事の与え方など、幕末における農業の様子と農業指導のあり方を伺い知る内容が刻まれている》

《脇沢の地蔵様》

《田んぼが広がる》

《寄居集落センター 明治6年創立の旧寄居小学校の跡地。少し前まで木造校舎の一部が残っていたようだ》

《二宮像は昭和12年建立》

《会津若松の表示が!》

7:59 那須町寄居集落の外れ。「文化元年酉九月」の「旅行安全」と書かれた石碑がある。お参りをさせていただく。

8:25 暑くなってきたのでウインドブレーカー、長そでインナーともに脱ぐ。笠もかぶる。風が吹いて心地よい。(那須町山中というスクールバスバス停のところ)

8:47 明神の地蔵様。その先、ひたすらのどか。

9:15 県境を越え、白河関の碑を見て、向坂の宿入口まで来た。ベンチに座ってちょっと休憩。ピンクの農作業着のおばちゃんに「どっから来たの?」と声をかけていただく。「東京からです」「あっそう」、、、f(^^;

9:21 出発!!


《那須町の一番北にある泉田の一里塚》

《一里塚の少し先、寄居集落の外れの道標には「旅行安全]の文字。文化元(1804)年の建立》

《寄居は歌舞伎の「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」縁の地。主人公勝五郎は仇が街道を通るのを待ちながら岩に瓢(ふくべ・瓢箪)を刻み、妻初花は路傍に湧く清水で美しい顔を洗ったという。今も路傍に清水が湧き流れる》

《明神の地蔵様》

《県境 福島県白河市へ(境の明神)》

9:40~50くらい? その後かなりもくもく歩いてきた。ペースも高い。「皮篭集会所」のところまで来た。同じ場所にある消防団施設のところに水道があるので、そこで靴下を洗うことに。他の着替えはある(着っぱなしで着替えていない!?)。靴下は3足とも使ってしまったので替えが無い。とりあえず水洗いだけしてリュックにぶらさげて乾かせばよい。そうすればまた野宿でもOK。問題はバッテリーだが。クッキー、にんたまも食べる。濡れていたテント、フライシートも乾かす。日射しが強いのですぐに乾く。(放射線量についてのデータ掲示もこの公園にはしてある。より安全のためには、あまり長時間遊ぶなとも)靴も脱いでソールも外し乾かす。左足親指、靴下の上から触るとマメが出来ているような感覚もあるので、靴下の上からテーピング補強する。

10:30 そろそろ出発だ!!


《皮篭集会所 公園に放射線量の測定値を知らせる看板があった。長時間の利用を避けるようにとも書かれていた》

じきにセブンイレブンあるが、コンセントは無いので先を急ごう。朝日屋ラーメン(準備中)の前でおじさんに声をかけていただく。「がんばってねー」「奥の細道ではねんだー!!」

11:25 2番町益子酒店の向かいのベンチで休憩。ここはもう白河の城下町で、入り組んだ道がそのまま残っているという。益子酒店、三河みりん売っている。11:35スタート。


《白河城下が近づくにつれ、戊辰戦争の戦死者を弔う碑が増える》

 

12:10? 12時過ぎだろうか、旧市街を抜けてヨークベニマルのところまで来た。もうすぐ城下を抜ける感じか。とんかつ弁当とほうじ茶、電池2パック(4×4)、そして白河到着・奥州街道完了・五街道完了を祝ってセブンチューハイ8%も買い1,910円(カード)。がっつり食べる。会津までグーグルで66km。何とかなるか。気合いだ。

13:01 出発するか!!イェー!!


《会津へと街道は続く 》

《白河城が見える》

《嘉永2(1849)年の道標(複製)》

14:40 会津街道道標を見た。そしてその先、ようやく登りも終わりか。峠のようだ。やはり峠に差しかかると風が吹いてくる。気持ちがよい。


《仙台藩士戊辰戦歿(戦没)之碑》

《ここで会津街道(国道294号)と奥州街道(国道4号)とに分かれる。(五街道としての奥州街道白河まで)》

《会津街道》

《会津街道道標》

15:25 白河市立信夫第二小の先、外面(とづら)というバス停のところに自販機があったので炭酸を飲みたくて休憩。ダイドーミスティオレモンスパークリング500ml 120円。風もあってよい天気。雲もいくらか流れている。畑仕事帰りのおばさんが、鍬を杖にコン、コンと地面を叩きながら歩いて行く。日に当たると暑いが、日陰は少し寒いくらい涼しい風が吹く。ここまで6.16km。まだまだ。

グーグルマップでは国道(そうは言ってもあまり広くはない)ではなく、7kmくらい短い道も提案するが、安全策と補給、それから294号そのものが旧街道を示していると思うので、国道を行く。500mlいっぺんに飲むのはもったいないなー。郵便屋さんも集配に来る。そろそろ行こうか!!15:42


《外面(とづら)バス停にて》

15:55 風が吹くと、まだ田植えの終わっていない田んぼの水面がサーッとさざめくのが美しい!!

16:17 福正寺前。市役所の手前の方(大信庁舎はもう使っていない様子?)


《福正寺》

16:22 セブンイレブン大信増見店による。麦茶、カロリーメート(フルーツハーフ)、チーズを買う。(349円)チーズを食べたくなったのは身体の声か。なんか元気出る!!靴下も乾いたので取り込む。水洗いでも充分だな!!麦茶、カロリーメートは夜に備えてリュックに入れておく。

16:36 よし、トイレ小も借りて行くか!!そう言えば今日は大をしていなかったので、大に座ったが出ないような。お尻だけ洗った感じ。16:41出発!!

そう言えば、この辺は低い山がなだらかに続くところだな。中山道とはかなり違う。(途中何も無いのは同じだけど)

17:00 ふるさとのメロディーが流れる。会津まで68kmの標識、、、。


《「会津若松68km 天栄6km」》

17:50 大学(?)村の旧道筋に入った街並のところで座って休憩がてらバス予約(会津若松から新宿)。18:10出発!!ウインドブレーカー着る。

18:50 天栄松本店セブンイレブンまで来る。コンセントは無いようなので、店の前で左足首のテーピングを巻き直す。少しまたアキレス腱が痛むようだ。ヘッドランプ装着。テーピングよいようだ!!


《今日も日が暮れる》

《旧会津街道 牧之内宿(天栄村)》

暗くなるにつれ風が猛烈になる。自転車で行く女性が、向かい風で自転車に乗れなくなるほど。芭蕉も風吹きすさぶ枯野を歩いたか。

バス停の建物の中で風を避け休憩したりする。これ以上は無理かと思ったところで、公民館の玄関先で風を避けテントを張らせてもらう。


~今日のFacebookから~


FACEBOOK 2016.5.7 AM 5:22
おはようございます! 9日目の朝をむかえました。 風呂に入っていない6日目の朝もむかえました。 明け方雨が降りましたがたいした雨ではなく助かりました。 今はさわやかな朝です。 では、行ってきます!(^^)/

 


FACEBOOK 2016.5.7 AM 7:33
会津若松・白河の表示が出てきました。

 


FACEBOOK 2016.5.7 AM 8:58
福島県来ました! 白河市です。(^^) 峠、風強いです!

 


FACEBOOK 2016.5.7 PM 2:03
ありがとうございます! おかげさまで、先ほど江戸期五街道における奥州街道を無事歩き終えました。これで五街道はすべて歩いたことになります。 広い意味での奥州街道はまだまだ東北に向けて続くのですが、僕は道を左に折れて会津若松方面を目指します。 白河に入る前後から戊辰戦争の各藩の戦死者をまつる碑が多く目につくようになりました。奥州・会津街道は明治維新に向かう日本が、その将来を憂いて同胞同士戦った歴史を今に伝えているようです。そんなことを考えていたら、急に夕立のようなにわか雨が降ってきました。あわてて軒下にかけ込んだのですが幸いすぐに止みました。七夕ではありませんが、催涙雨という言葉を思い出しました。 さて、この先は時間と勝負しながら、気合いとガッツだけの道中になりそうです。行けるところまで!というところでよろしくお願いいたします!(^^)/

 

 

FACEBOOK 2016.5.7 PM 2:38
会津街道道標


FACEBOOK 2016.5.7 PM 5:01
うむむ、68km。


第8日目目 次第10日目